未公開話6 [ラジコン]
という事で始まった私のラジコン歴ですが、無事模型屋のおっさんのご指導のおかげで、一人で上げ下ろし出来るようになりました。でも、皆さん滑走路の真ん中に綺麗に降ろすのに、なんで私は滑走路に降りないの??という日々が結構続きましたね(^_^;)
それでも何とか滑走路に入るようになり、次の機体はスタントが出来るヤツ、って事でDash25を作りました。この頃になると段々自信も付いてきて、全塗装の機体が欲しくなり、おっさんにAurora45をお願いしました。出来上がるまでだいぶかかったけどその間に、何と60の機体を譲ってくれると言う話があり、45の前に60を飛ばすことになりました。60は飛ばし易かったですね〜。
以下は当時から鹿児島にかけての写真があったのでご紹介(^_^)v
コレがAurora45です
後ろの車はシトロエンBX
故有ヶ谷センセと飛燕
エンジンはエンヤのVツイン240で独特の音でした
オペルオメガとオリゾン50
エンヤの53-4Cです
この機体は水上機にもしました
双発のアルバトロスは飛ばなかったなぁ
テトラのツインホーネット10
コレはヒロボーのツルギですね
この頃はF3Cにも興味があった
鹿児島に転勤して
はじめてのヘリの大会参加でした
初めて出た飛行機の大会でアドバンスドクラス2位
しかもEZスケール機
この後、フルサイズ機を手にする事に
同じく飛行機の大会
完全にF3Aの泥沼へ(^_^;)
関東にもどってきて、機体はナルケホビーのジャイルスG202。OSの140FIでしたが、このエンジンには泣かされました(^_^;)
クルマはVWヴァナゴン
そしていち早く電動化したAUREA
ファンタ70復活!! [Fantasista 70E]
ようやくモーターユニットが修理から戻って来ましたので、早速搭載
つうことで、日曜は飛ばせるかな?
いや、雪が残ってるかなぁ〜
で、ライブカメラを見に行くと
ダメだこりゃ(^_^;)
水上機持ってこ(笑)
【追加】大丈夫そうね^ - ^
未公開話5 [ラジコン]
「飛行機はね…」
そこから、小1時間ラジコン飛行機について、蘊蓄を聞かされ本当にやるのか覚悟(笑)を確認されたあと、ようやく機材の話になり、機体はMKのHappy20、エンジンはOS25FSR、プロポはフタバという事で、その他必要なもの一式を注文し入荷したところで、後日引き取りに来ることとなりました。基本、在庫は置かなくて注文したものを問屋経由で納品って事ですね。お約束は飛行場はお店のサービスとして運用しているので、店で買ったもの以外は使用禁止。お店で買えば飛ばせるように指導もしてくれます。なので値引きは無し。そりゃそうですよね、商売なんだから。という事で、私のラジコン人生(^_^;)はスタートしたのでした。
続く…
未公開話4 [ラジコン]
店のショーウィンドウ??らしき所には「ラジコン飛行場あり」との文字が見える。
入口の前に立つと、手作り自動ドアがガガガガガ〜と音を立て開いた。狭い店内にはガラスケースが置かれ、その中には何だかわからないパーツらしき物が無造作に積み上げられている。うーん、コレ売り物なんだろうか?よく見る模型屋にある売り物の飛行機らしい箱は特に見当たらない。不安に思いながらも、何やらマウント材をエポキシで貼り合わせる作業に集中しているおっさんに恐る恐る声を掛けてみた。「あの〜」(些か声が震えている)「あのー、やってみたいんですけど…」
「何を?」
お?何を…ときたか。何をと言われても、ここにはラジコン飛行機って看板があるし、パーツもそんなだし、実際このおっさんはエンジンマウントを貼り合わせてるじゃ無いか…?ブツブツ…、と頭では一瞬思ったものの
「ラジコンの飛行機をやりたいんです。子供の頃飛行機を作ったことはありますが、飛ばしたことは無いので、飛ばしたいんですけど、一式揃えて頂けますか?」
.
.
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・・・
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「飛行機はね…」
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.
続く…
未公開話3 [ラジコン]
それなのに~
長女が2歳〜3歳の時だったか、お正月の初売りで、おもちゃ買ってあげようということでお店に行ったとき、何故かラジコンバギーが目に留まり、ほんと遊び半分で買ってきました。近所の公園で走らせたら結構面白く、ちょこちょこ遊んでいました。
長女が2歳〜3歳の時だったか、お正月の初売りで、おもちゃ買ってあげようということでお店に行ったとき、何故かラジコンバギーが目に留まり、ほんと遊び半分で買ってきました。近所の公園で走らせたら結構面白く、ちょこちょこ遊んでいました。
ある日、新青梅街道のホームセンターに行って(当時、私は杉並区に住んでた)車をそこの駐車場に止めたら、隣にやってるかやってないか分からないような模型屋さんと思しき店があるのに気付きました。いや、ほんと。入るのがためらわれるようなお店なので、普通の人はきっと通り過ぎるでしょう(笑)。知っている方は皆さんたぶん同意されると思いますが(爆)ごめんなさいm(__)m で、その時は、更に不愛想な感じのおっさんが店の前の歩道で飛行機をガン吹きしていて、こんなところにお店があるんだ・・・って思っただけでした。
ところがやっぱりというか、ラジバギーでしばらく遊んでると飽きて物足りなくなり、昔の血が騒ぐというか、ラジコンの飛行機をやってみたくなり、居ても立ってもいられなくなりまして、ついに、この怪しげなお店の扉を開けたのでした。いや、自動ドア(おっさん自作の)でしたから勝手に開いたんですけどね(笑)
・・・続く
・・・続く
未公開話2 [ラジコン]
なんで私がこんなにも模型飛行機にのめり込んだか、記憶は定かではありませんが、元となったのは「レゴ」と「百科辞典」だった気がします。
LEGOは誰しも知っているブロックを組み立てて造形するアレですが、創造力・想像力を励起するには物凄く役立った気がします。百科辞典てのは表現がイマイチですけど、要は小中学生向けの平易なもので、そこで車の構造とか、飛行の仕組みとかを見て興味を持ったものです。構造を調べて、それをレゴで組み立てて形にして、動作を確認する、みたいなことを延々とやっていました。あとはもうプラモデル三昧でした。そんな中で小学生の時Uコンを知って、母の同級生がやってる模型屋さんに一緒に行ったら、まだ小さいから無理なので中学になってからって言われてがっかりして帰ってきた覚えがあります。そこからは、ひたすら本を読み、バルサを削り、こずかいためて部品を買い・・・でした。
中学になって同級生がプラモマニアであることを知り、毎日そいつん家に行ってました。彼もUコンやるというので、機体を作って飛ばしに行きましたが、まあ、エンジンかからず。かかってもすぐ落としが続きました。それでも懲りずに初飛行に成功した時の嬉しさと言ったら、お互い抱き合って喜びましたからね(笑)。そのあとは高校受験やらなんやらで、しばらく遠ざかってしまいました。私は相変わらず部屋で勉強してるふりして図面引いたり、工作してましたが。高校に入ってからもクラブ活動は忙しくなりましたが、あい変わらず模型熱は裏でふつふつと続いており、勉強したふりして工作の日々でした。もちろんこずかいはパーツ、エンジンへと消えていきます。興味は完全にラジコンでしたが、無線機のような高価なものは買えるはずもなく、本を読み、飛ばしている妄想をするのみでした。バイトして金貯めてなんてのは田舎だし、そういう世相でもなかったし、そもそも内気なもので考えもしなかったですね。ラジ技は毎月買って隅から隅まで読んで、特にF3A日本選手権とか世界選手権の記事を見ては、憧れ、いつかこんなのを飛ばしてみたいなぁ~なんて夢見てました。でも大学入ってからは、先のカルトバロンをちょこっとやっただけで、友人との遊び、バイト、カート、スキー、クルマ、諸々楽しいことがいっぱいあったので、ラジコンのことは忘れてました。就職して結婚して子供ができて、更に遠ざかってしまってました。
それなのに、ああ、それなのに・・・(続く)
それなのに、ああ、それなのに・・・(続く)