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太平洋沿岸 [一般]

今回10ん年振りに仙台へ行ってきたのですが、実は震災のことについて、これまで極力避けてきた自分がいます。学生の頃から10年程暮らし、結婚もしたところでもありますし、一番思い入れの深い土地であります。

大学生の時にも大地震があって、たまたま友人宅にいた私は、庭の池の金魚が揺れで水と一緒に外に飛び出すのを見て、こりゃやばい、家も潰れるんじゃないかと観念しましたが、幸い何事もなく、揺れが収まって飛び出した金魚を池に戻して、友人宅を後にした思い出があります。
カミさんの実家は45号線(仙台から塩釜、三陸へ向かう幹線道路)の西側にあるのですが、津波は45号線東側まで押し寄せ、辛うじて西側は被害がなかったようです。それでも玄関の際まで水は上がって、水が引いた後は大きな魚が道路に転がっていたと言っていました。そんな話を聞いて、ふと帰路は海岸沿いを行ってみることにしたのです。
走り始めると、市内では全く震災のことなんて関係ないように見えましたが、海岸側は私の記憶の景色とは大きく変わっていました。自動車道から見える筈の防風林の緑はなく、高く積み上げられた防潮堤の威容だけが目立ちます。そんな景色が海岸沿いずっと続いています。さらに南下して福島県に入ると、今度は道路の左右の景色が一変。人家はあっても荒れ放題の庭、田畑。田んぼだった筈のところには汚染土が積まれシートが幾重にも掛けられている。それがずっと向こうまで続いています。道路脇にはバイク乗り入れ禁止地域の看板があり、放射線量が掲示され、まさに原発事故の影響がまざまざと感じられて、改めて日本は今、現実としてそういう環境にあるんだと、他人ごとではないんだと思い知らされます。これは実際にその地に来てみないと分からないです。身震いがしました。さらに南下し茨城へくるともうそこはいつもの風景。このギャップには驚きます。
いまここでどうこう言う気力もありませんが(風邪ひいて思考力低下中)、この現実を受け止められたのは大きな意義があったなぁと思うのでした。

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